あと少し早ければ、あと少し遅ければ。
と、後悔することは日常茶飯事で。
誰だって、先を見越して行動出来る人間はいない。
人間だけでなく、生きとし、生けるもの全て、不可能だと思う。
「見える」ようになってしまったとしたら。
30分先の景色を、今、見てしまうようになったら。
それはそれで、苦痛でしかありえないと思う。
「見てしまう」ということは、決して変えられない先を見てしまっている、
ということで。
それが、平凡な光景ならば、それでいい。
だが、非日常の風景を見てしまったとしたら。
たとえば。
事故だったり、事件だったり、天災だったり。
他人の死、友人の死、愛する人の死。
だから、「見えない」方が幸せなのだ。
「見えない」幸せ、未来を楽しみに生きる、幸せ。
それを大事に、していて欲しい。
もう、時間がないようだ。
願わくば、この力を、他の人が持たないことを祈る。
自分の死の映像が、今までの中で、一番嬉しいよ。
では、さようなら。
--------------------------大地震の後に発見された、ある男の遺書より